kajidaisanji のすべての投稿
加地さんに会いに行きました
コメント欄でいただいた情報を確認すべくFC東京オフィシャルページをチェックしてみると、うまい具合に加地さんの顔が見えない。気になる。隠されると見たくなるのは、男の性だ。数時間後、私は阿佐ヶ谷の駅前に立っていた。
電車を乗り継ぎ、来てしまった。にぎわう阿佐ヶ谷パールセンター商店街を入るとすぐに加地さんたちの人形が見えてきた。先頭はこの人だ。
ジャーン。ジャーン。
念のため断っておくと、最初の「ジャーン」はジングルというかアタック音というか、効果音の「ジャーン」で、次の「ジャーン」が選手名の「ジャーン」だ。とにかく、ジャーン(これは選手名)。結構似ているのではないか。加地さんの人形も、これくらい似ているのだろうか。期待が高まる。その前にこの人。
ジャーン。今野。
いや、だから「ジャーン」は効果音で、これは今野だ。似ている似ていない以前に、タヌキだ。そしてよく見ると、手にはアルミボトルをさげている。ということはつまり、この後の加地さんはやはり、例の物をさげているのだろうか。ついに加地さんの登場だ。
指が写りこんでしまった。デジカメではあり得ないようなミス。あり得ないことが起こるのが、加地さんだ。気を取り直して今度こそ。
シャキーン。加地さん。
似ていない。加地さんはこんなに丸顔じゃないし、そりゃあ多少はりんごほっぺだけどここまで赤くはないし、だいいちマントなんかしてないだろう、って、そっちじゃない。ヒーロー違いだ。右側こそが、私たちのヒーロー、加地さんだった。どうだろう。似ているだろうか。よくわからない。残念ながら、ペットボトルはさげてはいなかった。
天翔る加地さん。ドイツW杯のピッチを華麗に翔る加地さんに思いをはせ、阿佐ヶ谷を後にした私だった。
加地さんという名の花火が消えるとき
友人に誘われ、花火大会へ。フィナーレはなぜか2002W杯公式アンセムに合わせて花火が打ち上げられたので、それを聞きながら2002W杯の興奮と感動を思い出し、来年にせまったドイツW杯での加地さんの大活躍を想像し、不安に、いや、期待に胸ふくらませつつ、加地さんの放つミドルシュートのように夏の夜空高く打ち上がる花火を楽しんだのだった。
そんな加地さんのドイツW杯出場が危ない。韓国戦で今度こそ駒野が大活躍してしまったら、それをきっかけにスタメンに定着し、そのままドイツW杯を迎えてしまうかもしれない。加地さん最大のピンチ。
でもたぶん、大丈夫だ。すぐに加地さんはスタメンに戻ってくる。もし万が一駒野にポジションを奪われるようなことがあるとしたら、それはもう少し先のことに違いない。
ドイツW杯直前合宿。記者会見。
「外れるのは加地。亮、加地」
ネタを提供せずにやすやすとポジションを明け渡すような加地さんではないのだ。
ピンチ回避能力
次の韓国戦のメンバーはどうなるのだろう。またそっくりレギュラー組に戻るのか、それともレギュラー組をベースとしつつ、中国戦でアピールした選手、例えば田中達也などを起用するのだろうか。ジーコの考えは分からないが、しかし少なくともディフェンスはレギュラー組に戻すのではないだろうか。やはり中澤の高さと強さは必要だ。しかしそれより、なんといってもキャプテン宮本の、ピンチを察知し、素早く、かつ冷静にそれを回避する高い能力が絶対に欠かせないのである。
私が宮本のピンチ回避能力を高く評価するようになったきっかけは、TVで見たあるシーンである。とは言え、それは試合中のシーンではない。宮本に密着取材した、「情熱大陸」という番組の中の、遠征先のホテルの部屋でのシーンである。
リラックスする宮本。取材に答えつつ、小さなお守りを取り出してカメラに見せようと、それを探すために鞄を開ける。カメラは鞄に向けられ、その中身が映し出される。
私は見逃さなかった。その時私は、相手DFのわずかなほころびを見逃さない、ストライカーだった。鞄の中に、薄い透明の2ピースプラケースに入った、白いプリンタブルレーベルの盤面に、ペンで何か文字が書き込まれた、CD-Rと思しき物体が数枚入っているのを、私は見つけてしまったのだ。
これってもしかして、違・・
私の頭に疑惑が浮かぼうとしたその瞬間、宮本の素早い判断力がそれを阻止した。インタビューに答えてしゃべりながら、あくまで冷静に、さりげなく、盤面の文字が見えないよう宮本はそれらを裏返し、間一髪のところでJASRACの追撃をしりぞけたのだった。
いや、もちろん私が抱きかけた疑惑など全く見当違いで、それらは宮本の子どもの寝顔を撮影したビデオをDVD-Rに焼き、盤面に「パパの元気の素」とか書いたものだったのかもしれない。でもそれならそれで、あ、これ俺のイメージとちゃうな、と判断しての行動だったはずで、いずれにしても宮本のピンチ回避能力の高さは変らないのだ。
頼むぞ、宮本。その素早い判断力と冷静な対処で、韓国戦は失点0だ。試合前には好きな音楽を聴いて集中を高めるのを忘れるな。
ジーコジャパンの右サイドに必要なもの
東アジア選手権、中国戦。右サイドをスピードに乗って突破し鋭いクロスをあげたかと思うと、時には中央へ向かってドリブルで仕掛ける。今日の加地さんは別人のようだ。
別人だった。
そんなばかな。加地さんがピッチの上にいないだなんて、そんなことがあるはずがない。私は懸命にその姿を探した。いた。今日はFC東京のときと同じ、背番号20番をつけている。
「20 王亮」
苗字が違った。
っていうか、国籍が。
加地さんはじめスタメン総入れ替えで臨み、結局は引き分け。ゴールをあげた田中達也のようにアピールできた選手もいたし、そうでない選手もいたかもしれないが、私たち加地さんサポにとって気になるのはやはり、駒野だ。
試合開始から失点するくらいまでの時間は積極的に攻撃参加し、加地さんからスタメンの座を奪ってしまうのではないかと私たちを心配させたものの、後半は加地さんのプレイを意識してか存在を消してみたり、また、消極的なバックパスも目立つようになり、消えっぷりやバックパスではまだまだ加地さんに及ぶべくもなく、また、何度か入れたクロスも相手DFに跳ね返される場面が多く、(これは逆サイドの村井に対しての発言だったが)解説のセルジオ越後がこう言ったのだった。
「クロスは逆サイドにふわっと入れたらいいじゃないかな」
加地さんからスタメンの座を奪うには、クロスのふんわりさが足りない。朝日が昇り夕日が沈むような、無重力空間に舞う野口さんのような、リードしている試合でファールにならない遅延行為ともなりえる、あのふんわりクロスがある限り、加地さんの地位は揺ぎ無い。次の韓国戦こそは加地さんのそんなクロスから生まれるゴールで勝利だ。
BLUE CARD PROJECT 〜実物編
旗
加地さんの花
気が付けば東アジア選手権も開幕直前なのであり、現地での加地さん情報はないかとGoogleニュースで検索してみつけた記事は、またしても加地違いのそれなのであった。
愛媛で農業を営む加地さんが、テッポウユリを切り花用に出荷しているというニュースだった。決戦前に似つかわしくないほのぼのとしたニュースに心和まされてしまったが、ついでにテッポウユリという花がどんな花なのか調べてみると、それは白くて美しいユリで、聖母マリアの象徴であり、彼女の純潔をあらわすのだという。
加地さんの花だ。
テッポウユリはピッチに舞い降りた聖母、加地さんの花なのだ。鉄砲から放たれた弾丸のようなシュートで、日本に勝利という名の花を咲かせる、聖母加地さん。男だけど。
トロフィー
TVをつけるとトヨタカップの組み合わせ抽選会の中継をやっており、その中で新しくなったトロフィーのお披露目があった。6大陸をあらわす6本の柱が丸い地球を支えるデザイン。ぴかぴかに輝くそれを見ていると、私の心の中にまた長年の疑問がよみがえってくるのだった。
トロフィーって、何だ?
何かの大会で、優勝した選手やチームに与えられる、トロフィー。手にした者は喜び、それを高々とかかげ、キスをする。でもあの物体って一体、何なのだろう?
似たようなものに優勝カップがあるが、あれはあきらかに「杯」である。勝利の美酒を飲むための杯が、形だけ残して優勝の記念品となったものだろう。でも、トロフィーは、よく分からない。
一般的にトロフィーと聞いてイメージするのは、金色に輝き、台座から装飾的な柱が4本くらい高く伸び、その上に球体や杯様の物体が乗り、さらに頂には競技にあわせたこれも金色の小さな人形が乗っている、そういう物体である。柱とか球体とか人形とかその他の装飾の集合したあれは、全体として何を表しているのだろう?
よく分からない。なにしろそれは、何にも似ていないのだ。柱があるからといって建築物にも見えないし、杯様の物体があしらわれてはいるが全体としては杯ではない。私はこのことが昔から疑問で、考え続けているが答えは出ない。今ふと、あ、そうか、と分かった気がした。
あ、そうか。あれはトロフィーを表しているんだ。
間違っている。間違っているが、もしかしたらそれこそが真実なのかもしれない。
おはよう加地さん
コメント欄で情報を頂いた、加地さんのNHK「おはよう日本」出演。普段夜型生活で、朝はいつまでもだらだらと寝ているダメ人間の私が、急に朝の6時に起きて観ることはできそうにないので、前日の夜にHDDレコーダのタイマーをセットして就寝した。
起きて、早速、再生。レコーダのリモコンの再生ボタンを押してブラウン管に映し出された映像はしかし、私の期待していたようなそれではなく、そんなばかな、と思うものの、リモコンをどう操作しようとも、私は加地さんの笑顔と出会うことができないのだった。
録画失敗。
私はビデオのタイマーすらまともにセットできない、本当のダメ人間なのだった。