今回のW杯最終予選に関連して、過去のW杯予選における「歓喜」や「悲劇」のシーンを久しぶりにTVで観る機会が多かったが、そのそれぞれに人それぞれ個人的な思い出があるだろうが、私もまた、いろいろな事を思い出すのだった。
「ジョホールバルの歓喜」をTVで観ていたのは今住むこの街とは別の、前に住んでいた街の古いマンションで、ハーフタイムなどに友人とメールをやりとりしながら観ていたのだっただが、メールとはいっても相手はPHSで、だから電話からポケベル方式でメールを送信していたのだった。あの頃すでにそれほど若くはなかった私も、それなりの速度でポケベルを打てたのだったという事実に、自分でちょっと驚く。今打てと言われても、無理だ。完全に忘れている。
さらにさかのぼって「ドーハの悲劇」の時にはまた別の街に住んでおり、同点ゴールが決まってしまったその瞬間のことよりも、翌日の朝乗った電車の、誰も何も話しているわけではない静かな車内の空気が、どんよりと沈んでいるような、なんとも言えないものに感じられたことをよく憶えている。その車内であらためて、ああ、W杯へは行けないんだな、という思いが込み上げてきたのだった。
さて、このたびの「バンコクのなにがし(仮)」であるが、例えば4年後、次のW杯予選のとき、TVで過去の予選を振り返る特集などがあり、柳沢や大黒のゴールシーンを観たとき、私は何を思い出すだろうか。
加地さん。
やはり、まっ先に思い出すのは、加地さんと、そして一連のFLASHや、このブログだかなんだかよくわからないもののことだろう。その頃加地さんは日本代表の監督をしているかもしれないし、俳優に転職して殉職シーンを演じているかもしれないし、ボーリング場でピン立てのバイトをしているかもしれないし、また、一連のFLASHやこのブログだかなんだかよくわからないものもどうなっているかわからないけれど。
W杯は世界中の人が一緒に楽しむ一大イベントだけれど、後になってしみじみと懐かしむその思い出は人それぞれで当然違うのであり、だから私は「私のドイツW杯」をより思い出深いものにするためにも、加地さんを応援し続けるのだ。
はじめまして。 僕も加地さんのプレイに魅せられた一人です。 ただ自分のブログの中ではkajidaisanjiさんとはまったく真逆のスタンスで加地さん代表引退論、別メニューではなく別の人生を、といった言説を展開してきました。 貴殿のブログからは加地さんへの大きな愛が感じられ、加地さん攻撃に終始していた自分を恥じ入った次第です。 でもやっぱり僕は加地さんにキビしい事しかかけそうにありません。 どうかお許し下さい。
コメントありがとうございます。
確かにtheshophouseさんのブログと私のこのブログだかなんだかよくわからないもののスタンスは一見真逆のようですが、でももしかしたらその根底に流れる感情は全く同じものなのかもしれない、などと言ったら失礼でしょうか。もしそうだとしたら、それは果たして愛なのか、憎しみなのか?大賛辞なのか、大惨事なのか?
四年後の加地さんかあ( ´∀`)。○
W杯決勝でのハットトリック
カフーの後継者としてミラン移籍
チャンピオンズリーグ決勝での逆転ミドル
バロンドール受賞
授賞式での「サッカー飽きたので保育士になりたい」発言
じゃあ四年後の加地さんは保育士をしてるのかなあ