アドリアーノの“神の手弾”でインテル勝利 (SANSPO.COM)
いつも思うのだけれど、こういう“審判にハンドを見逃されて認められたゴール”をすぐに“神の手”と呼ぶのはどうなんだろう。元ネタはもちろんマラドーナのいわゆる“神の手ゴール”だろうけれど、あれは全盛期のマラドーナだからこそなのであり、なんでもかんでも簡単にそう呼んでいいものではあるまい。“神の手”と言えばどんなことでも許されるわけじゃないのだ。
満員電車に突然響く女性の声。「やめて下さい!今、触りましたよね?」車内に緊張感が走り、周りの乗客の視線が女性の背後の男に集まる。男が言う。
「いや、今の、神の手だから」
ああ、神の手が私のおしりをお触りに、それじゃあしょうがないですね。ってそんなわけない。痴漢は犯罪だ。神どころか“悪魔の手”である。神が救いの手を差し伸べる、という表現があるように、それは困っている人を助ける“手”でなければならない。
高い棚の上に置いてある物に手が届かない。踏み台になるような物もなく困っていると、横からすっとそれを取ってくれる手が。おお、神よ!
いやそれたぶんただ単に、背が高い人。
棚から物を取るだなんてそんな簡単な作業のためになど、神の手はこの地上に現れないのである。もっとせっぱつまった、どうしようもない状況にだけ、その手は差し伸べられるのだ。
公衆トイレに駆け込む。助かった、なんとか間に合った。無事に全てを出し切って安心したのもつかの間、トイレットペーパーがないではないか。ポケットティッシュも持ち合わせておらず、困った、どうしよう。そんな究極のピンチにこそ、神の手は現れるのだった。
手で拭く。
神の手っていうか、紙がわりの自分の手。
ってまたついトイレの話になってしまったけれど、話を神の手ゴールに戻せば、我らが加地さんにもし万が一そんな機会があったとしても、審判をあざむくだなんてことが出来ない性格の加地さんは、すぐにばれてハンドを取られそうである。
ペナルティエリア内で左サイドからのクロスに飛び込みヘッドでゴール!かと思いきや、伸ばした腕で押し込んだのを見破られて、笛。
「ちゃうちゃう、今のは神の…」
「加地の手、だったね」
「…」
「イエローカード」
「…はい」
審判に落ちを取られて紙ゲット
加地さんトークの前フリ、大概が○○○系…
見てみたいです、加地さんの神の手ゴール。
あっさり見破られてしょんぼり戻っていく加地さんに、相手選手が寄ってきてぽんと肩をたたくところが想像できます。
もう何でもいいから、やって欲しい。
その日のニュース総ナメにするほどの何か・・
どうせなら大惨事;を希望。
子供のサッカーチームだったら、
「正直に言うんだぞ、僕の手があたって入りましたって」
コーチに言われるよぉ。
だから加地さんもその時は白状すると思うなぁ〜。
たしかに…それで点になって嬉しいものなんでしょうかねぇ…?(´〜`;)
おそらく勝てばなんでもいいってことなんでしょうか…;
加地さんなら正直に認めちゃいそうですね☆
点は得られなくとも, みんなからの信頼は得られるかも知れませんね!
>>drunkdrummerさん
前フリが実は本題なのはここだけの秘密です。
>>もこさん
加地さんの場合どっちかと言えば「神の手ディフェンスでPK献上」のほうが見れる確率が高そうですね。
>>yuri★さん
試合中にうんこを漏らして「紙の手」を出せばニュース総ナメ間違いなしです。神の手はナメなくてもいいです。
>>プリンさん
審判がゴールを認めているのに、しつこく「僕の手ですよ!」と抗議してイエローカードをもらっちゃう加地さん。
>>ナノさん
パン屋でお釣りが多いときも正直に言って返す加地さんです。