ジェフ戦

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帰るなりただいまも言わず自室に駆け込みドアを閉めたきり出てこないので、そっとドアを開けてのぞいてみると、ベッドの上でこんな風にうずくまって泣いている姿を見つけたら、絶対に声をかけるべきだけれど、でも多分、「どうしたの?お友だちにパンでも買いに行かされてるの?」と聞いても、「なんでもない、大丈夫」と答えるに違いなく、もちろんその涙の原因をはっきりさせ、例えば相手に「もうやめてね」と伝え「はいやめます」で問題が解決すればそれが一番だけれど、そんな風に簡単にはいかないケースのほうがほとんどだと思われ、では私たちに出来ることは一体何なのかを考えるとそれはとても難しく、でも一つだけ確かなことは、何度クロスを上げても誰も決めてはくれずこの世界に自分ひとりぼっちのような気がして絶望している君は決してひとりなんかではないということ、クロスが決まらなくても終了間際のふんわりヘディングバックパスが仮にオウンゴールになっていたとしても私は無条件に君の味方だということ、そのことを言葉で、態度で、FLASHで、ブログのようなもので、伝え続けていくこと、それが大切なのではないかということだ。

君が絶望しているその狭いピッチは君の世界の全てなんかじゃない。その外側にはもっともっと広い世界が広がっていて、そこでは誰にだってきちんと居場所がある。こんな私にだってあるのだから。むしょ(略)で、ちんちんとか金玉とかが大好きな、くだらない大人の私にだって。

え、ないの?

サウジアラビア戦

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ノンノン。

スタメンフル出場し、チャンスをたくさん演出した加地さん。今回は駒野さんのクロスのニアに飛び込んだり、ボールをキープしたまま相手DFに向かってトコトコ歩いたかと思いきや急激にダッシュして抜き去る新技「トコトコ&ダッシュ」を披露したりと、新たな引き出しは増える一方である。

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PKを得るべくシミュレーションにも挑戦。しかし三都主ほどの演技力がないからか、根が正直だからか、あっさりと見破られイエローをもらってしまった。

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イエローをもらったのになぜかちょっと笑顔なのは、「出来心とはいえ、もう少しで人を騙すところだった。主審のおかげで僕は嘘つきにならずにすんだんだ。ありがとう」と、主審に感謝しているからか。

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先制点に歓喜の輪。画面隅でも存在感を示す中村憲剛。ところでこの場面、歓喜の輪に加わっていない加地さんは、わずかな時間を利用して、オシムの目の前で自分は水を運べる選手だということをアピールしていたのだった。

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水を運べる加地さん。口に。でも残念、オシムは見ていなかった。アピール失敗である。

後半わずかな時間ではあるが羽生もピッチに投入され、加地さん、中村憲剛とのパス交換でチャンスも作ったが、今日羽生の一番の仕事はやはりこの場面だろう。

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津波への注意を促す羽生。

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「特にこのピンクのとこ!」

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最後は目でうったえる。「ハヤク…ニゲテ…」

アントラーズ戦

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内股がかわいい加地さん。

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ちょっとシンクロ。突然だがここで出題である。
問題:宮本の髪型はパーマか、そうでないか?

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答え:パーマでした。

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サウジ戦メンバーに選ばれ、髪が伸びつつあるけれどまたしばらくは床屋へ行く暇がなさそうな加地さん。サウジ戦ではついに加地さん・羽生・中村憲剛、夢の共演が実現か?楽しみである。

不覚

天皇杯、ジェフ千葉対コンサドーレ札幌の試合で、悲劇は起こった。

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不覚にも乗るはずだったUFOに乗り遅れ、目の前で今まさに飛び去ろうとするそれをぼう然と見上げる羽生。

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阿部越しに助けを求めるようなそんな目で見つめられても、私にはどうしてあげることもできないのだ。

ガソバ大阪

近所の小さなスーパーの野菜コーナーのじゃがいものところに、段ボールにマジックで書かれたPOPとでも言うべき物が掲げてあり、商品名である「じゃがいも」の文字や値段が書いてあるのだが、その一番上に、お勧めの調理法なのだろう、こうあった。

「ツチューに!」

私の知らない「ツチュー」という料理があるのでなければ、これはたぶん「シチュー」のことである。カタカナの「シ」と「ツ」が書き分けられない人が、たまにいる。「ソ」と「ン」も同様で、「二色パソ」などという書き間違いもありがちだ。

海外ではもっと大変なことになっていることが多く、日本人観光客相手の店の看板やメニューに書かれた日本語には必ずといっていいほど間違いがあり、あまりに間違いすぎていてそれが一体何を表しているのか分からないこともしばしばだ。

以前台湾を訪れた時である。ホテルの部屋に置かれた、テレビの使い方を説明した紙に、こうあった。

「見たいチセソを選んでください」

チセソ。分からない。何かの書き間違いなのは分かるのだが、元が何なのかが分からない。しばらく考えてみたが、まあそれでもテレビそのものは日本のそれと使い方は変わらないので、とりあえずスイッチを入れようとリモコンを手に取ると、その中の一対のボタンに、正解らしきものが記されているのだった。

「CH チャン」

これか。チセソ=チャン。「ン」が「ソ」になっているだけでなく、「ャ」が「セ」になってしまっている。そういえばヤとセはちょっと似ている。そうかー、チャンかー、となんとなく納得してしまったがちょっと待て。

「見たいチャンを選んでください」

ネルはどこへ行った。

その台湾で知り合った薛(せつ)さんは、最近日本企業相手の仕事が増えてきたので日本語入りの名刺を作ったと言い、出来たばかりのそれを一枚私にくれたのだが、名刺の彼の名前にカタカナで振られた読みがなはこうだった。

「ヤツ」

だから何処のどいつなんだ。名刺とは、自己紹介に使うもののはずだ。それなのに「ヤツ」と、いきなり三人称で自己紹介してどうするのだ。

ゲーフラなどに加地さんの名前をカタカナで書くことはあまりないだろうが、「カヅ」ではちょっとキングっぽくなってしまうので注意が必要だ。「ツヅクレイ」はまだしも、「セットのヤットプレー」は意味が分からない。そして最も気をつけなければならないのは、この人だ。

「シネ様」

応援なのか悪口なのか、どっちなんだ。

僕は忘れない

ナビスコカップで羽生とそのお友だちたちが優勝したり、天皇杯ガンバ対ベルマーレ戦で加地さんがお約束の宇宙開発シュートやレアなヘディングシュートを披露したりのこの3連休、私は早速母に謝罪すべく、田舎へ帰っていたのだった。

いや、謝罪のために帰ったわけではなく、親戚の法事があったのでそのためであるが、とにかくいい機会なので、法事も終わり女子バレーの中継も終わり落ち着いたところで、昔こんなことがあったよね、あの時はわがまま言ってごめんなさい、そしてありがとうと母に話すと、母の答えはこうであった。

「そんなことあったの。憶えてないわ」

断っておくが母は認知症ではない。ただ普通に、記憶にないのだ。たぶん子ども時代に私がわがままを言って困らせることなどしょっちゅうで、それをなだめたり叱ったりすることはその頃の母にとっては日常の出来事に過ぎないから、その一つ一つをいちいち憶えてなどいないのだろう。

そんなもんである。人は毎日繰り返される日常の出来事など、次々に忘れていくものだ。今や私にとってすっかり日常となった加地さんチェック&カジオログ更新であるが、私もこんな日常をいつか忘れてしまうのだろうか。このカジオログのことも、加地さんのことも。

いや、そんなことはない。たとえ忘れてしまっても、きっとまた思い出すだろう。先輩に、上司に、友だちに、後輩に、息子に、娘に、孫に、ひ孫に、「パン買って来い」と走らされるそのたびに、私は思い出す。かつてパンを買いに行くことで鍛えられたスタミナを武器に右サイドを行ったり来たりしたサッカー選手がいたことを。その選手についてくだらないことばかり書き綴ったブログのようなものを更新していたこの日常を。

「はあ、はあ、そういえばおったのう、こんなふうにパンを買いに行くサッカー選手、あれは誰じゃったか。はあ、はあ、確か名前は…そうじゃ、はにゅうじゃ。あれ、えーと、何パン買うんだっけ?」

二色パン

加地さんがパンを買いに行かされる場面を想像するたびに、いつも胸の奥の方がほんの少し痛むような気がするのは、私がある人をパンを買いに走らせたことを思い出すからなのだった。ある人とは、私の母である。

「メロンパン。5分以内。ダッシュ」冷たく命令する私に素直に従い、小雨の中小走りでパンを買いに行く年老いた母。ってそうではなく、母は自転車で走ったのだし、私はその荷台に取り付けられた子ども用シートに乗っていた。幼い頃の思い出だ。

幼稚園の帰りだったのだと思う。今日のお昼なに食べたい?と聞く母に、私は「二色パン」と答えた。クリームパンとチョコクリームパンが半分ずつ合体している、一つのパンで二つの味が楽しめるパンだ。

田舎の小さい町唯一のスーパーに、残念ながらその日は二色パンがなかった。単品のクリームパンは売っていたのだが、わがままな私は絶対に二色パンが食べたいと言って聞かない。しかたなく母は町中の菓子パンを売っている店を自転車を走らせて回ったのだが、二色パンはどこにも売っていなかった。せめて単品のチョコクリームパンでも売っていれば、クリームパンと合体させて二色パンのような物を作ることも出来たのだが、それもない。とにかく言い出したら聞かない私は、いやだ、絶対二色パンが食べたいと駄々をこねる。困った母は考えて言った。「じゃあ作ろう」。

作ると言ったって、パンを焼く機械も材料もない。家に帰ると、母は戸棚から板チョコを取り出した。それを溶かして食パンに塗ればチョコクリームパンっぽくなるだろうと考えたのだ。チョコ食パンと買ってきたクリームパンで二色パンになるよ、と母は言う。私は機嫌を直し、出来上がりを待った。

母は少しでも早く私に食べさせようと、板チョコを湯せんではなく電子レンジにかけたのだが、それが失敗だった。加熱時間を長くしすぎ、板チョコは焦げ、苦くて食べられない物になってしまった。

「残念だけどもういいよ。色々ありがとう。今日はクリームパンでがまんするよ」と、私は言わなかった。私は怒ったのである。焦げたのなんか食べられないじゃないか!と。

私のわがままを叶えるために自転車を走らせ、なんとか工夫して二色パンを作ろうと努力してくれた母に対し、いくら子どもだったとはいえ、私はなぜ怒ったりしてしまったのだろう。あの時は本当に悪いことをした。今度田舎に帰ったら、母に謝ろうと思う。二色パンをお土産に買って。

車※※

私にはわけが分からない。それを言った本人も分からないと言っているのだから、これはいったいどういうことなのか、たぶん誰にも分からないのだろう。

アジアユースの日本対タジキスタンの試合の中継を、BS朝日で観ていたのだった。私の隣で、観るともなくそれを観ている家の者がサッカーには特に興味はないということはここに何度か書いたとおりで、おそらくU-19日本代表の選手など誰も知らないし、というか今目の前でやっている試合が何の大会なのかすら分かっておらず、知っているサッカー選手など数えるほどで、外国人選手ともなればせいぜいベッカムやジダン程度だろうと思われる、そんな家の者が、ぼんやり画面を見ながら、突然小さな声で、でも迷いや躊躇のない口調できっぱりと、言ったのだった。

チャ・ドゥリ

私はわが耳を疑った。聞き間違いだと思った。家の者の口から、チャ・ドゥリなどという言葉が発せられるはずがないし、というかそもそも今やっている試合とチャ・ドゥリとは全く関係がないわけで、だからそれを口にしたのが誰だったとしても、それを聞き間違いだと思うのは当然だろう。私は聞き返した。

「え?何?チャ・ドゥリ?」
「うん」

どうやらチャ・ドゥリで間違いないらしい。私はさらに困惑して聞いた。

「何でチャ・ドゥリ?っていうか、チャ・ドゥリって、誰?っていうか、人?」

その問いに対する答えはさらに驚くべき物だった。

「知らない」

知らないってそんなばかなことがあるか。よく聞けば、一応サッカー選手の名前であることは認識しているらしいものの、それがどこの国の選手で、どんな顔をしているかなどは全く知らないということらしく、でも、ただ、ぼんやりTV画面を観ていたら、その言葉がふと口をついて出たというのである。ほとんど勝手に。チャ・ドゥリ、と。

これはいったいどういうことなんだ。むしろアンテナが埋め込まれているのは家の者の方なのか。カジオログをやめて「チャ・ドゥログ」を始めろという天のお告げなのか。分からない。さっぱりわけが分からないのだ。

エスパルス戦

加地さんが怪我をしたわけでもないのに途中交代で下がるのというのは珍しく、それとも実は怪我をしていたのだろうか。いや、これもきっとただの「所用」だったのに違いない。

「ごめん、ピッチサイドの水足りなくなっちゃったからひとっ走り頼むわ」

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放り込まれたクロスを加地さんに難なく金玉トラップで防がれ、体を反らせて残念がる高木純平と、その妙技に見とれる選手たち。

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さりげなくネイルをアピールする加地さん。金と銀?

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(おまけ) 右手を微妙なポジションに置き、恍惚とする宮本。

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(おまけ) そんな宮本の肩にも106歳。

加地さんなりのレター

入院が長引きそうな遠藤を励まそうと、ガンバの選手全員でビデオレターを録画し届けたというニュースの中に、気になる一文があった。

「所用で欠席したDF加地を除く」

なんと、ビデオレターの収録に、加地さんただひとりが欠席したというのだ。しかもその理由は「所用」。そんなふうにあいまいに書かれると、それはいったいどんな所用なのか気になるし、もしかすると怪我の具合が悪く秘密の治療へ行っていたのではないか、緊急手術を受けて遠藤の隣のベッドで寝ているのではないかと悪い想像が膨らんでしまうが、これはたぶん、そういうことではない。本当にただ単に、所用としか言いようのない用事だったのだ。

パンを買いに行っていた。

決起集会のため次々に集まってくるガンバの選手たち。ほぼ全員がそろったところで、いつものように誰かが言い出したのだ。「加地さん、あんパンお願い」。呼応するように別の誰かも言う。「あ、じゃあ俺ジャムパン頼むわ」。

「クリームパン」「チョココロネ」「レーズンパン」「メロンパン、カサカサのやつ」「メロンパン、しっとりしたやつ」「カニパン」「ビッグロシア」「ポンデケージョ」「なんかうまそうなやつ」「おしゃれ蒸しパン」「ナン」「超芳醇」などと次々入る注文を素早く書きとめ、ダッシュで部屋を出て行く加地さん。

病室のベッドの上。ビデオレターを見ながら、笑いつつ、感動でちょっと涙している遠藤。あれ、と気が付く。「加地さんがいない、どうしたんやろ」。脚の具合が悪くなって家で休んでいるのだろうかなどと心配しつつ、ビデオレターと一緒に届けられた小さな包みを開けて、全てを理解する。「加地さんは相変らず元気なんやな。俺も早く治さないとな」。

包みの中のパンをかじりながら、一日も早い復帰を誓う遠藤なのだった。

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