クロスに願いを【美織編2】

洋斗くんは加地さんのおまじないも教えてくれた。加地さんがふんわりしたボールをゴール前に蹴ったら、それが芝生の上に落ちるまでの間に、目を閉じて願い事を3回唱えられればそれが叶うんだって。ほんとかなあ。流れ星みたいだねって言ったら「加地さんのクロスはピッチの上の流れ星、って言われてるんだ。近年NASAも観測調査を始めるらしいよ」だって。嘘ばっかり。でももし今日の試合で加地さんがボールを蹴ったら、こっそり願い事、してみよう。

試合が始まった。興味あるよ、なんて言っちゃったけど、実はサッカーなんて全然知らなくて、弟がテレビで観てるのをたまに一緒に観るくらい。でも生で観るサッカーって楽しい!ライトに照らされた緑の芝生の上を、ボールを追って走る選手。スタジアムを真っ青に染めたサポーターの一体感、拍手や歓声。ブーイング。テレビで観るのと全然違う。でも、それよりなにより、洋斗くんの生き生きとした楽しそうな表情。バイトの仕事場では見たことがない、こんな表情。洋斗くんの彼女は、いつも隣でこんな表情を見れるんだな。

前半は0対0。「後半はもっと攻撃的にいかなきゃ、美織ちゃんにゴールシーン見せてあげたいし」って洋斗くんが言ったとおり、後半は日本が攻めてるみたい。何度かの惜しいチャンスのあと、長いパスが、21番の選手に渡った。あ、加地さんだ。ボールを持った加地さんは、前を向くと、ドリブルを始めた。そうだ、加地さんのおまじない、しなきゃ。加地さん、ふんわりしたボール、蹴って!相手の選手をかわす。歓声。そしてボールが、あがった。ふんわりと。これだね、今だ、願い事!

……………………えっ?…あれ?

目を開けるとそこには洋斗くんがいて。私は恥ずかしくってうなずいたまま顔をあげられなくて。

「加地さーん!加地さーん!」

洋斗くんは立ち上がって叫んでる。加地さん、ありがとう。願い事、叶っちゃったよ。まだ3回目、唱えてる途中だったけどね。

クロスに願いを【洋斗編1】

「スタジアムって、広いんだねー」

そう言って隣でものめずらしそうにスタジアムを眺めてる美織ちゃん。キックオフよりだいぶ早く着いちゃったけど、退屈してないかな。でも俺、さっきからしゃべりすぎ?沈黙が怖くてついしゃべりまくっちゃうの、悪い癖だよな。でもそのおかげで今日こうして美織ちゃんを誘えたんだけどね。

あの日のバイトの帰り道。偶然美織ちゃんと二人きりになっちゃって、突然で何を話していいかわからなくて、気が付いたら駅までずっと、サッカーの話を一方的にしゃべりまくってた。「ごめん、サッカーなんて興味ないよね」って聞いたら「そんなことないよ、一度行ってみたいんだ」なんて言うから、こんなチャンス二度とないと思って今日の試合誘っちゃった。一緒に行くはずの友達が行けなくなってチケット余っててさ、なんて言ったけど、一緒に行くはずの祐太が行けなくなったのは、その日の夜の俺の電話でだった。洋斗に彼女が出来るためならしかたないな、譲るよ、でもそのかわり絶対にその子をGETしろよ、そう言って快くチケットを譲ってくれた祐太のためにも、今日は何としても美織ちゃんに告白しなきゃな。

って覚悟で来たんだけど…だめだ、やっぱり顔を見ちゃうと勇気が出ない。「青い洋服これしか持ってなくって」っていうノースリーブがよく似合ってて、かわいい。今ここで何万人もの人が青い洋服を着てるけど、美織ちゃんが一番よく似合ってる。同じ青でも美織ちゃんが着ると輝いて見えるのは気のせいかな。

そこから伸びた白くて細い腕と、スタジアムをもの珍しそうに見ている横顔をこっそり盗み見て、心の中で告白のシミュレーションをしてみる。「美織ちゃん、君は『俺ワールドカップ』優勝だ!」ってわけわかんないか。「ボールは友達、でも俺は美織ちゃんとボール以上の関係になりたい!」って何言ってるんだ俺。ああ、想像してるだけでドキドキしてきた。心臓が21番のレプリカユニを突き破って飛び出しそうだよ。やっぱり無理だ、告白なんて勇気、ないよ。

クロスに願いを【洋斗編2】

美織ちゃんが、覚えたての加地さんの名前をつぶやいている。「加地さん加地さん」。そうだ、加地さんに賭けをしよう。もし加地さんが、今日の試合で相手ディフェンダーにコースをふさがれたとき、いつものようなバックパスじゃなく、勇気を出してドリブルで勝負をしかけて相手をかわし、クロスを上げたら。そしたら俺は、美織ちゃんに告白する。クロスの結果はどうでもいい。勝負する勇気。そう、必要なのは失敗を恐れない勇気だ。よし、加地さん、頼んだぞ、勇気をくれ。

試合は一進一退の攻防。俺はあまり試合に集中できない。いつも以上に、加地さんを目で追って、応援してしまう。試合結果よりも、今日は加地さんの勇気が俺にとっては重要なんだ。なかなかチャンスにからめないまま迎えた、後半。加地さんが高い位置でボールを受けた。相手ディフェンダーが素早く寄せてくる。行け、行ってくれ、加地さん、ここは勝負だ!

俺の心の声が届いたのか、加地さんが縦へ突破にかかった。しっかりついてくるディフェンダーを振り切り、タッチライン際で強引にクロスをあげた。やった!加地さんが勇気を見せてくれた。よし、俺も、勝負だ。隣を見ると、美織ちゃんが俺のさっきの冗談を真に受けたのか、目を閉じて何かを願っている。見つめ返されるとまた勇気がしぼんでしまう。これはチャンスだ。加地さんがくれた、告白のチャンスだ。スタジアムの歓声に負けないように、目を閉じたままの美織ちゃんに思いっきり叫んだ。

「ずっと前から美織ちゃんのことが好きだったんだ、俺と付き合ってくれ!」

とっさに出てきたのは、ありきたりの告白のセリフだった。驚いたように目を開けた美織ちゃんの表情が、照れた笑顔に変り、小さく、こくりとうなずいた。やった、加地さん、俺、やったよ!

クロスに願いを【エピローグ】

ピッチに目を戻すと、ボールは逆サイドを転々として、そのままゴールラインを割るところだった。スタジアムの歓声はため息に変わったけれど、でも二人にとっては最高のクロスだったよ。加地さん、本当にありがとう。もし、もし可能ならなんだけど、日本代表がゴールしてくれたら、その喜びのどさくさにまぎれてハグなんかできるんだけどな。加地さんにそこまでお願いするのは、ちょっと無理かな?

●〜

土曜日、Jが再開し、加地さんも出場するFC東京の試合がTV中継されていたので観ていたのだが、実況のアナウンサーがやたらかみまくる、というか、どもっているのはどうしたことかと思いきや、そういう名前なのだった。

サササルセード。

かか加地さんの新しいチームメイトだ。Jデビュー戦でいきなりゴールをあげて強い印象を残したササさんだったが、ゴールより私の印象に残ったのは、彼の襟足、もしくは耳の後ろあたりにひと束だけ細くひょろりと残る、長い髪の毛だ。あれは、やっぱり、おしゃれとしてのそれなのだろうか。なら、いい。いろいろなおしゃれがあるだろう。でもそうじゃなかったらどうしよう。

切り忘れ。

床屋さんが、数本だけうっかり切るのを忘れてしまい、ササさん本人は正面から見えないので気づいていないのだとしたら。そして加地さんたちチームメイトは、まさか切り忘れとは思わず、本人がおしゃれでやってるんだからと、特に指摘もしないでいるのだったら。どうしよう。私が教えてあげたほうがいいのだろうか?それともこっそり後ろから接近し、気づかれないようにちょきんと切り落としてあげようか?悩む私なのだった。

ところで髪型といえば、加地さんはまた短く切り、色もやや茶色くしていた。私もそろそろ髪を切りに行くべき時期だが、同じ髪型にしてみようか。

ひょろりと、残して。

ただひたすら走るだけ

ただひたすら走るだけ

君への思いは
誰にも負けないつもりだけれど
みんな言ってるってわかってる
僕が一番わかってる
君に僕は ふさわしくないって

君のためにできることなんてなくて
思いをを伝える方法がなくて
言葉がなくて

できることといったら
ただひたすら走るだけ

あと一歩 踏み出す勇気が持てなくて
くるりと背を向け あきらめる僕

君へ届けと放つ思いは
シャボン玉のようにふんわりと
宙を舞って 舞って
地面に落ちて
誰にも知られずぱちんと消える

やっぱり僕は
ただひたすら走るだけ

でも一度だけ
あれは君の気まぐれ
走って 走って 走って
顔を上げると君がいて
僕はそっと君にふれて
君は僕に微笑んでくれた

自信 持ってもいいのかな
ほんのちょっとだけ

あと何ヶ月 君を見ていられるだろう
あと何回 君にふれられるだろう
秋が来て 冬が来て 春が来て
その時君の近くにいられたら
また君の笑顔が見られたら
僕の人生 終わってもいいかもね

だからそれまで
ただひたすら走るだけ

鼻歌

加地さんの代表初ゴールから一夜明けて。朝食前にニュースサイトを回って加地さんの記事をチェックし、昨日の出来事が夢ではなかったことを確認、少年のような笑顔に癒され、今日もなんだかいい一日になりそうな、いい気分。

いい気分のまま朝食のためにキッチンに立った私は、知らぬ間に鼻歌を歌っており、それを聴いた家の者は、言ったのだった。

「加地さん、好きだねえ」

なんでわかったのだ。家の者は外出していたので昨日の試合の結果は知らないはずだし、ましてや加地さんがゴールしただなんて夢にも思わないはずだ。確かに今、私が鼻歌で歌っていたメロディーは、サラ・ブライトマンの「ア・クエスチョン・オブ・オナー」のそれであり、この曲はテレ朝のサッカー中継のテーマソングとしてよく流れていたから、サッカーを連想するだけなら、理解できる。なのになぜ、家の者は私が加地さんのことを考えているとわかったのだろう。

答えは簡単だった。私が、「ア・クエスチョン・オブ・オナー」に勝手な歌詞をつけて歌っていたからだ。こんなふうに。

♪加地さーん♪加地さーん♪加地さーん♪ほーなほーなー
♪加地さーん♪加地さーん♪加地さーん♪ほーなほーなー

結局今日一日、私はそれを歌い続けていたのだった。いい一日だった。

加地さんがや○○した!

加地さんが!加地さんが加地さんが加地さんが!!!

髪、伸びたね、ちょっと。

また昔みたいに長くするのかなー、って、そんなことはどうでもいいのだった。代表初ゴール。有言実行。本当にイラン相手にやり返した加地さんなのだった。

ゲーム序盤はいつもの加地さんだった。右サイドでボールをキープ、スピードアップして縦にドリブル突破、DFをかわしてゴール前へクロス、かと思いきやボールはふんわりと直接ゴールラインを割る。アナウンサー、「加地のクロスはDFに当たってコーナー…いや、当たっていません、ゴールキックです」。敵も味方もアナウンサーさえもあざむく、絶妙なテクニック。かと思えばペナルティエリア付近で突破を試み、相手DFに倒されたふりをして倒れるものの、根が正直者で嘘がつけない誠実な加地さんなので、レフェリーの目はあざむけず流される。

そんなこんなの前半28分に、まさかの代表初ゴール。それは強烈な弾丸ミドルでも、コンフェデの幻ゴールのようなワンツーからの突破でもなく、インサイドで確実にゴールに流し込む、地味な、でもとても加地さんらしいものだった。マンオブザマッチの座を大黒に譲るあたりも控えめな加地さんらしくていい。

さらに、今日の試合はW杯予選とはいえ消化試合で、将来「ドイツW杯予選を振り返る」といった趣旨の番組があってもこのゴールシーンはまず使われることがないだろう。どこまで控えめなんだ、加地さん。

でも僕たちは今日のこのゴールシーンをいつまでも憶えているだろう。そして語り合うだろう。2005年8月ごろ、国立?いや横浜だっけ、のイランだったかイラク戦で、代表初ゴールを決めた、あの、ほら、ペットボトルのあの人、なんて言ったっけ、いたよね?なんだっけなあ…。

それにしても加地さんのゴールには「やり返した」より「やらかした」という表現のほうが似合ってしまうのは、なぜなんだろう。

´¿´î¤ÎKING KAJI

絶対に

我らが加地さんが、帰ってくる。

ジーコ監督1位通過へ国内主力組起用
加地も「絶対にやり返す」。この日の練習試合では、東アジア選手権のベンチで戦況を見つめながら課題として見いだした、縦への突破を再三、仕掛けた。

あの温和な表情から発せられたとは思えない、強気な発言。確かに加地さんはアウェイイラン戦で2失点にからむ大活躍をしてしまったわけで、その借りを返したいという思いは強いだろう。でも、本当に加地さんはそう言ったのだろうか。それは記者の聞き間違いで、本当はこう言ったのではなかったか。

「絶対にやらかす」

かつて試合前にこんなネガティブな発言をする日本代表選手がいただろうか。あー、やべえ、だめだ、緊張してきた、たぶん、またやらかしちゃうよ、俺、絶対、やっちゃうよなー、あー、もうだめだー。ロッカールームでうつむきながらぶつぶつ言ってる加地さん。加地さんまた言ってるよ、こっちまでテンション下がるんだよなあ、とささやきあう他の選手たち。ジーコ、加地は試合前に神に祈りをささげて精神を集中させているのだな。

加地さんが本当は何と言ったのかはわからない。でもまあどちらでも構わない。やり返す加地さんも、やらかす加地さんも、私はどっちも見たいのだ。

あきら

あきら。加地さんの、下の名前。しかし「加地」を付けず、ただ「あきら」とだけ言われたら、私は別の「あきら」を思い出す。

その「あきら」の思い出を書こうと思うが、ためらう。以前うんこの話を書き、それは当然加地さんとは無関係の話ではあるものの、加地さんの名を冠した場所でうんこについて書くのはどうかと反省し、次の記事で「もううんこなんて書かない宣言」をした私。

今回書こうと思った話はうんことは関係ないものの、あの時同様、読んだ人がその内容を加地さんと結びつけて想像してしまうことが心配で、でも、「加地さんはそうじゃありません」と断って、書く。

私と小・中学校が一緒だった、あきら。あきらは加地さん同様イジられキャラで、よく体操着を隠されたり、上履きに画びょうを入れられたりしていた、などと書くと、イジるというよりいじめられていたかのようだが、基本的にはクラスメートに愛され、そういうちょっとハードなイジりイジられる関係、それもまた少年期の友情のひとつの形だ。

誰よりもあきらをイジり、また誰よりもあきらと仲がよかったのは、「まなぶ」だ。怒ったあきらが追いかけ、笑いながらまなぶが廊下を走って逃げる、そんな場面をよく憶えている。そのまなぶが、あきらをからかう時に必ず言っていた言葉があり、「あきら」という名前を聞くと私が真っ先に思い浮かべるのは、その言葉なのである。

「ちんぼくろ」

身体の、ある部分に、ほくろがある、という意味のその言葉。まなぶはそれにメロディーをつけ、「ちんぼくろー、ちんぼくろー」とからかうのだった。あきらは「ちんぼくろじゃねえよ!」と怒り、追いかけ、まなぶは廊下を走る。

あきらが本当に「ちんぼくろ」なのかどうかは、結局誰にも分からなかった。あきらはよく体育の時間に後ろからズボンとパンツをずり下げられていたが、一瞬で元に戻すので私たちにそれを確認する余裕はなく、また、本人はそれを断固否定してはいたものの、積極的に証拠を見せることはしなかった。

あきらが今どこで何をしているのか、私は知らない。元気でやっているだろうか。もしかすると同じ「あきら」ということで、加地さんのことを応援しているかもしれない。そして何かの間違いで、これを読むかもしれない。そしたらあきら、連絡をくれ。そして教えて欲しい。

本当にちんぼくろなのか?

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